前回 は木曽義仲について書きましたが、今回はその義理の兄である今井四郎兼平について、思うことを書きます。
『平家物語』での兼平
原作の兼平は、「ザ・武士」と呼ぶべき設定で、悪く言えば「ベタすぎるキャラ」です。
- 戦闘ではほぼ無敵
- 冷静沈着
- 無茶する義仲を諌める
- 義仲と最期を共にする
『平家物語』では巧みな構成によって立体感を獲得していますが、これらの要素をそのまま漫画に描いたところでチープな歌舞伎にしかならず、全く面白くありません。実際、最初の下書きの時点では全然しっくりきませんでした。
人物を理解できないままではパターンで書く羽目になり、実存が無くなります。「いかにも英雄のような英雄」になってしまい、兼平である必要性も、平家物語である必然性も失われます。そんな空虚なベタ、描く価値も読む価値もありません。
史跡を巡るうち人物像が浮かぶ
キャラクターの書き方で悩んでいた折、仕事で大阪に行く機会を得ました(「バック・トゥ・ザ・現在」参照)。このタイミングを逃すまいとして、『かぜはふり』の舞台である滋賀県大津市に立ち寄りました。ここには義仲や巴が眠る義仲寺や、兼平の墓、および最期の戦場となった粟津ヶ原があります。
それぞれの史跡を訪れ、琵琶湖畔を歩きながら在りし日の一族に想いを巡らせているうち、次第に兼平のイメージに実態が伴ってきました。
兼平は義仲と一心同体で、多くの戦場を共にしました。常に義仲に先んじて道を切り開き、不利な戦いでは義仲を守る壁になりました。義仲と共に時流に飲み込まれて破滅に向かいながらも、一切裏切らず、弱音も吐かず、冷静に己の役目を果たし続けました。
義仲は純粋すぎるほどストレートな人間でしたが、兼平もまた同じだったのでしょう。こんな人物を「ベタ」の一言で片付けるのは、それこそ浅はかすぎるのではないか。圧倒的な熱量で信義を貫き続け、燃え尽きていった彼らを、100円ライター程度の熱量しかない僕が批判することはできません。ベタにしか描けないなら、それは僕自身の理解力・表現力・想像力・感受性の問題でしょう。
兼平には僕の常識を超えた信義の強さがある。兼平を描くには僕はそれを想像し、実感できねばならない。「振る舞いがベタ」で理解を止めず、質朴な直情を感じねばならない。
『かぜはふり』での兼平
最終的に『かぜはふり』では、兄としての側面を少し追加したものの、ほぼ原作通りの兼平を描きました。けっきょく一周してベタに見える結果になったかもしれません。これで十分描けたのかも分かりません。
しかし上記の気づきが無かったら、思い入れをもって描ききることはできませんでした。あるいは余計な見栄えを狙ってキャラを立ててしまい、ストーリーを損ねていたかもしれません。少なくともそうしたミスをすることなく、覚悟を決めて描くことができたのは良かったです。やはり現地に行ってみることは大切ですね。
兼平の墓
ところで今井兼平の墓は、今も今井家の末裔によって保全されているそうです。おそらく今井翼(タッキー&翼)や今井絵理子(SPEED)も忠孝を受け継ぎ、墓を守っているのでしょう。
全ての今井氏の忠義心を讃え、敬意を評したいと思います。(思い込み)