ここまで木曽義仲、今井兼平と続き、順当ならば巴について語るところですが、先に山吹について書きます。そしてその前に、『かぜはふり』がこれまでの村田川作品とどのように違うのか説明します。
ライブ芸術の直観性を目指す
『かぜはふり』は、漫画的な漫画を目指さず、舞台芸術、音楽演奏、絵画といったライブ芸術の要素を取り入れようとしています。具体的には、目と脳の理解を要するのではなく、触れると同時に直接的に感性に響くようなものを実現しようとしています。
このような志向になった原因は、過去の自分の作品や、他者の作品を読んでの反省に基づいています。
『をんがへし』や『メトロブルー』を描いたときは、ライブ芸術への考察など無く、いかにも漫画的な工夫や設定を作りこんでいました。その結果、描いた僕自身が「こういう漫画みたいな漫画、好きじゃないのに…」という、しっくりこない感を抱いていました。
他人の漫画を読んでみても、演出、構成、画面描写、いずれも私より圧倒的にうまい人はいくらでもいますが、どれも芯を感じず、感情的充足を得るには全く不十分でした。藤子・F・ゴッド・不二雄は今も僕のアイドルですし、ほかのどの作家よりも優れていると思いますが、それですら理想には程遠い。
従来の漫画表現の不満点
キャラや世界観や設定を作りこめば作りこむほど、説明過剰に陥り、こまごまとした表層的なドラマになることは避けられません。ディティールばかりにフォーカスが集まり、全体性を欠き、みみっちくなります。また、「ドラマ性=人間のこじれる様子」と捉えるあまり、人の見苦しさや生々しさばかり見ることになり、単に不快感を感じたり、息が詰まることが多い。そこから生じる緊張と解放は、どれも人為的で、頭のごく一部にしか作用しないものです。テレビドラマや漫画の多くはそこを刺激することに何十年も注力し続けていますが、年々微細化するばかりで、一向にスケールを獲得しません。
こうした気づきから、これまで盲目的に使ってきた漫画的表現の根本に欠陥があるのでは?と疑うようになりました。そこから、僕が20代の頃から好んでいるジャズ、能、サーカスなどを分析し、ライブ芸術の要素を獲得しようと考えました。
例えば能では、登場人物が感情を表現するとき、感情のままに動作することはなく、すべて感情を表す仕草で代替します。この時点で、漫画やドラマで見るような感情移入はありえません。また背景も無く、ただ謡と仕草で示唆されるだけです。言葉もしばしばよく聞き取れない。にも関わらず、積み上げられたエネルギーが舞台全体を包む流れとなって押し寄せてきます。優れた舞台に遭遇すると、「感情そのもの」を体験して心を揺さぶられたり、何とも言えない陶酔感に包まれることがあります。こうした直接的な衝動、包み込まれるような感覚は、漫画で体験したことがありません。こうした「何か」を、漫画で生み出せないか?
山吹の役割
『かぜはふり』は、読者に快楽を与えることを目指していません。従来の漫画に不可欠な、緊張と緩和の連鎖でカタルシスを与えるような娯楽性は、むしろ積極的に否定しています。そうではなく、ただフロー(流れ)を感じられるようにしています。
山吹は作品にフローを生じさせています。義仲、兼平、巴らが、葛藤や悲観に溺れて右往左往しているのを、山吹は外部から眺め、風で流し去っています。ある意味、ドラマ性を無化していると言えます。
人為的なピークによる緊張と緩和で読者を刺激するのではなく、読者をフローに漂わせる。それは従来の漫画的快楽とは別種の体験です。
あいにくこのコンセプトで漫画を作るのは初めてのため、フローがぎこちなく感じる箇所はいくつも見受けられます。これは今後の作品で改善していきます。ひとまず、僕がこのコンセプトに手ごたえを感じられただけで良しとします。
漫ろ絵
現代大衆娯楽の要件は、「より少ない努力で、より強い刺激を!」です。その行き着くところは、究極的には漫画である必要がなく、快楽中枢を電気的に刺激するヘッドギアか、刺激的映像と音声を次々に流し込むゴーグルのようなものでしょう。刺激に慣れればまた満たされなくなり、より強い刺激を求め、そのサイクルに依存する。さらに悪いことに、娯楽産業の基盤にある経済システムは自己膨張する性質を持つため、消費者の依存を煽り続け、「人」を意志のない、文字通りの「消費者」に変えてしまう。
どうも僕には、現代娯楽は人間性を殺し続けているようにしか見えません。「幸福=快楽」という物質主義的な短絡思考がありありと見えます。豊かなあいまいさが無く、貧しい過剰さだけがある。情報量とパターンだけが増えており、実存が無い。
現代漫画は1970年頃からその文脈でのみ進化してきました。僕はもうその流れに加担したくないので、自分の創作物を「漫ろ画」と呼んで区別し、誰のニーズもない道を掘り進めていく所存です。
なんだかジョークの乏しい文章になってしまいました。味噌つけとこう。