クローズアップ衒代

琵琶湖

SNS を辞めてから 半年ほど経ちますが、メリット以外何も感じていません。自分の日常を面白おかしく脚色したり、人々の発言に心をザワつかせられるようなことが無くなり、自分のための思考の時間が格段に増えました。

脱SNS後しばらく経ってから、「SNS をやっていた頃の僕は思考が停止し、考えるべきことを何も考えてなどいなかった」と気づき、愕然としました。僕はソーシャル・ネットワークという網に緊縛され、ほぼ息をしてなかったのです。

SNS を止めて分かった有害性

僕の中で SNS は、今となっては明確に有害です。SNS が人の脳をダメにする力は酒や麻薬の比ではない、と実感しています(麻薬をやったことはありませんが)。実害を上げたらキリがありませんが、何より厄介なのは、日常から内省の時間を大きく奪う作用です。

SNS にシェアしたいという欲求は、日常のあらゆるタイミングで沸き起こります。変わった光景を見かけたとき、ギャグを思いついたとき、YouTube で面白い動画を観たとき、Spotify で良い音楽聞いたときなど。欲求が発動すると、「いいね!」されるにはどう書けばいいかを考え始め、その他の考えを遮断します。

シェア欲求に従うがまま、面白おかしい投稿をする。1時間おきに通知の数を確認し、反響の大きさを確認する。その結果が日常の知覚に影響を与える。もはや僕は SNS に思考と行動パターンを教育されています。健全とは言えません。

僕にとって本当に有益なのは、日常で出会った面白さを分析・学習することや、シンプルにその「良さ」をじっくりと味わうことです。インターネット上の素性の知らない人々から集めた注目の数など、本来何の意味も持ちません。にも関わらず、ウケる快楽を覚えた脳は、より注目を浴びようと、「面白い視点」や「ユニークな意見」などを生成することにリソースを割き始めます。次第に僕の言説は、僕の素の実感とはかけ離れた、脚色だらけの、ウケ狙いの、奇をてらったものに変化していきました。

毒は僕にどう作用した?

げん」という字は、「(奇を)てらう」「(才能を)ひけらかす」「みせびらかす」などの意味があります。SNS に毒された僕の思考は、この字に集約される卑しさ・浅ましさに侵されていました。

この「SNSえ思考」は、僕の創作にも悪い影響を与えました。「どうすればウケるか」を第一に考え、ネタ本来の面白さを歪めていました。表現に過剰なデコレーションを施し、本質的な「良さ」を覆い隠していました。「良さ」を見つけ出す感受性自体も鈍っていきました。

2017年に会社を辞めたとき、僕がいかに他者から自分の思考と振る舞いを固定化されていたかに気づきましたが、2020年に SNS を止めたときにも同様の気づきを得ました。周囲に固定化されること自体は必ずしも悪ではないのですが、僕にとっては創作の方向性を、無自覚のまま僕の望まぬ方へ引きずられていたことが大変苦痛でした。ちょっと前の自分の SNS の投稿を見ると、ウケ狙いや衒学的げんがくてきな態度が鼻について、嫌気が差します。漫画でも「これは読者に媚びてるな」と感じるコマが目に付き、腹が立ちます。

デトックスの効果

脱SNSの結果、上に書いたような毒から解放され、自分自身および創作の精霊と対話することができるようになりました。本を読み、音楽を聞き、映画を観、ゲームを遊び、誰と共有するでもなく分析とレビューを行い、改めて「自分にとっての」面白さや良さを整理しています。これは自分自身の殻に閉じこもって、自己満足にこだわるという意味ではありません。自分が知覚できる範囲を深く観察して、SNS や投稿サイトなどのコミュニティーが求める偏った嗜好に留まらない、多様で広大な面白さを探し回っています。

また、精霊とよくよく話してみると、やはり僕は読者を楽しませようとして描くのには向いていないと改めて実感しました。僕の「面白い」という感覚は、世間の読者とは大きく乖離しています。少なくともここ15年、世間で流行っている漫画を読んで、面白いと思ったことは1コマもありません。「類似品」という感想しか出ず、読む前から飽きています。ときに奇をてらった作品がバズっても、「衒ってらぁ(江戸弁)」と思うだけです。深みが無いから一瞬で飽きる。これは僕自身の作品にもしばしば思うことです。漫画が本来発揮しうる面白さに、僕はまだ出会えていません。もっと研究と実験が必要です。

今の僕がやろうとしていることは、僕が読者と僕自身を楽しませるという作為を持って描くのではなく、作品自体が描かれようとするままに描くことです。作品が僕の浅ましい作為を離れて一つの自然として自立し、読者はその中を散策して、なにかに出会えるようにしたいのです。現在はその実現に向け、日夜制作に励んでおります。

要約すると、「次の作品はたぶんほとんどの読者にとって厄介なものになる」ということです。気を持たずにお待ち下さい。