久々に仕事の依頼をいただき、ミーティングのため新幹線で大阪へ行き、帰りに滋賀県の琵琶湖の周辺を観光しました。
滋賀を観光するのは初めてです。琵琶湖は広々として風の通りが良く、東京に引きこもっていた僕の心に清涼な風が吹き込まれました。山々のシルエットも目に面白い。僕は漫画で使えそうな光景を探しながら、湖畔を歩きました。
しばらく行くと、釣りの準備をしている一人の老人と目が合いました。老人は僕に声をかけてきました。僕は軽く挨拶をして立ち去ろうとしましたが、そこから老人の20分にも及ぶマシンガントークに巻き込まれました。
老人は次のような話を、近江弁で矢継ぎ早に展開しました。
- 私は齢85歳だが、非常に健康だ。毎日朝から街の掃除や木の手入れなどのボランティアを行っているほど。
- これまで入院したことは無いし、内科にかかったことすらない。
- 病気をしたくなければ、(小指を立てて)コレに近寄ってはいけない。私は結婚して60年だが、妻と寝床を一緒にしたことがない。刑務所でコロナが広がらないのは、女がいないからだ。
- 私は新幹線にも飛行機にも乗ったことがない。あんな人だらけのところに近寄ってはいけない。
- 私は歌うのが好きだが、マイクが不衛生なのでカラオケボックスには行かない。自分の家でマイク無しで歌う。
- 果物は皮をむかずに食べろ。
- 外食はするな。
- 新幹線は時速100kmに制限すべきだ。あの橋が見えるか?新幹線が通るたび震える。「時速200km, 300kmに上げろ」なんて話があるが、とんでもない。何かあったら全員死ぬぞ!
- もっとみんな私みたいに考えないと、大変なことになるぞ!
なんということでしょう。僕は未来から来た僕に出会ってしまったのです。
そう確信した理由は、老人の思考回路が僕と全く同じだったからです。
- 世間では誰一人として「良い」と思っていないことを、当人だけが「良い」と盲信して追求している。
- 簡単な事実を誤認、または意図的に無視している。(刑務所でもクラスターは発生してる)
- 聞き手の心情を顧みず、信念に反するものを容赦なくディスる。
- 欠陥だらけの論理なのに、疑いなく主張する。
- 他人が自分と同じように考えないことを嘆く。
この老人は、僕がこのまま50年生きた先の姿そのものでした。
どうにかしてトークショーから脱出した僕は、重い足取りで京都駅に戻りました。
僕は僕なりの「正しさ」を軸に創作に臨んでいますが、それを突き詰めた結果辿り着くのがあの老人の姿ならば、僕はその道を進むべきではありません。自分を自分という檻に閉じ込め、その外に泥を投げ続けて生きるなど、人として正しいとは思えません。その生き方に美も善も感じません。しかし、僕がいま頼りにしている「正しさ」を捨てたら、創作の軸は失われ、何をどう描いていいかわからなくなってしまいます。一体、どうすればいいのか。
僕は駅周辺でうどんを食べました。麺はコシがなくフワフワしており、つゆは塩気ばかり強く感じ、だしの香りは薄い。自己不信は、僕の好物のうどんの味をひどいものに変えていました。
…いや、自己不信を差し引いても、ひどい味でした。麺もつゆもまずい。冷凍うどんよりクオリティーが低くて750円。
なんだ!あのうどんは。